蔦屋重三郎が日本の漫画を守った?

「漫画って日本だけでこんなに豊かで多彩なのはどうして?」なんて思ったことはありませんか?
その秘密を探ると、実は江戸時代のとある人物にたどり着きます。
その人の名前は、蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)
もしかすると、この名前、初めて聞くかもしれません。
でも彼がいなかったら、今みんなが楽しんでいる日本の漫画は存在しなかったかもしれません。

江戸時代のスゴ腕プロデューサー

時は江戸時代後期。
インターネットもテレビもない時代、人々の娯楽は本や絵でした。
そんな中、重三郎は「蔦屋」という書店を経営して、絵や本をどんどん世に送り出していました。
彼は今でいうところの「スゴ腕プロデューサー」だったんです。

蔦屋重三郎が特に力を入れたのが、浮世絵というカラフルな絵や、当時の小説のような読み物。
浮世絵には、美人画、役者絵、風景画など様々なジャンルがあり、今でいう漫画の原型のような存在でした。
しかも、これらの作品をたくさんの人に届けるために、木版印刷という技術を駆使していたんです。
これって、今の漫画雑誌を毎月たくさん印刷して売るのと同じような感じですね。

幕府からの「出版禁止令」!?それでも表現を守り抜く

でも、そんな蔦屋重三郎にとって、ある時代が大変な試練となります。
それが、寛政の改革
幕府が「世の中をもっと厳格に、質素にしよう!」と動き出し、派手な遊びや絵、艶っぽい話が厳しく取り締まられることに。
今で言うと、「派手なマンガや映画は禁止!」って言われるようなものです。

「これじゃ、みんなの楽しみがなくなっちゃう!」と思った重三郎は、規制に真っ向から立ち向かいました。
直接の抗議ではなく、巧みな出版戦略を駆使します。
たとえば、内容を少し変えて検閲をすり抜けたり、作家の名前を伏せて作品を出したり。
なんとかして芸術家や作家たちの表現の場を守ろうとしたんです。

これが漫画文化の土台になった!

重三郎の活躍によって、江戸時代の浮世絵や読み物は発展し、庶民文化の一部として根付いていきました。
そしてその後、浮世絵や小説のような文化は、明治時代を経て、現代の漫画へと進化していきます。
だから、今の漫画の「みんなで楽しむ文化」の土台は、重三郎が築いたものなんです。

現代では、漫画は日本のポップカルチャーの象徴ですよね。
少年漫画、少女漫画、歴史漫画、グルメ漫画、スポーツ漫画…その多様性は世界でも他に類を見ません。
そんな漫画文化の奥底には、蔦屋重三郎の「みんなに楽しい作品を届ける!」という情熱が息づいていると言えるでしょう。

まとめると…

だから、「蔦屋重三郎が日本の漫画を守った?」という問いに答えるなら、こう言えます。
「そう、彼がいなかったら、今の日本の漫画はこんなに豊かじゃなかったかもしれない」と。
江戸時代に表現の自由を守り続けた蔦屋重三郎は、漫画の未来を遠い昔から守っていたんです。

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